20170708

おじいちゃんが米寿を迎えて、人生の転機を選んだ。
その日はおじいちゃんの為にバプテスマ式というクリスチャンになると誓う洗礼式が行われた。
海軍に入って終戦を迎え、退職金で上京して就職した先の社長になって、早くに癌で奥さんを亡くして、友達からの誘いを断り切れなくて入った宗教ではたちまち幹部になって、老人ホームに入って話を聞くうちにキリストを信じたいと思うようになって宗教と決別をしてクリスチャンになることを選んだこと。
私はクリスチャンではないけれど、親戚がクリスチャンの関係で度々イベント事に参加させてもらったり、色んなメッセージを聞かせてもらったり、たくさんの友達を築いた。
私が思うキリスト信者の印象はどこか近寄りがたくて盲目なイメージだったけれど、みんな気さくで親切でやさしい何ら私たちと変わらない人たちだった。
私は教会などで色んな人にクリスチャンになったきっかけを聞くのが面白くてすきだった。
単に親がクリスチャンだっから、恋人を失った悲しみから、友達の勧誘で、メッセンジャーによるメッセージを聞いて、友達が信じてるものを確かめてみたかったから、色々な理由があって集まっている人たちだった。
その日は50人程集まっておじいちゃんがクリスチャンになるのを見守ってくれた。
みんなが聖歌を歌って、おじいちゃんの生き様、信ずるに値した経緯を聞いて、洗礼の水に身体を浸ける。
左眼はほぼ全盲に近いおじいちゃんの眼鏡をして大きい虫眼鏡をしてもカンペの文字が読めなくて結局自分の言葉で話し始めちゃう姿を見て、そわそわしたけど無事に終わって良かった。式の最中、何度か涙ぐんでしまった。

たまに私のこと忘れちゃうけど、小学生の時から見せてくれていたマジックは未だに覚えていて今でも巧妙な手付きで披露してくれる。記憶とはそんなものなのかもな。体に染み付かないと忘れちゃうのかな。7年近く会ってなかったもんね。

米寿のお祝いでプレゼントされてた夏用のジャケットと正面と後ろで柄が違うオシャレなベストも、式で着ていた白装束も似合っていたよ。
100歳以上生きるといつも言うおじいちゃんの強く生きたいと願う生命力に元気をもらったよ。

私も生涯身を捧げて信じられるものができるといいな。